第9章 エマの願い <1>(2026/05/09 21:58)
ゆれる馬車の中で差し込んでくる光を手にあて、眺めている少年。馬車が砂利道をゆっくりと進み、やがて大きな玄関ポーチの前に止まった。
「さあ、ジョン着いたぞ」父親、ジョセフ・ゴルディールが言った。
無駄のない動きで扉を開けるフットマン。それに続いて風格漂う執事が歩み寄り、ふたりを出迎えた。
「ようこそお越しくださいました」
父親は慣れない出迎えにとまどいを隠しながら帽子を取った。その横で少年ジョンも静かに帽子を胸に当てる。
「また、こうやって伯爵様にお目にかかること、光栄に思います」
執事の案内で屋敷へ入っていくと高い天井や豪華な装飾、存在を放つ大理石の柱にジョセフは目をきょきょろとさせていた。一方のジョンは窓から入る光が大理石の柱に反射して自分のそばへ近づいてくる様子に微笑み、手を差し伸べた。
やがて、奥から別の足音が響いてきた。
「ミスターゴルディール!」堂々とした歩みで現れたのは、屋敷の主ーー伯爵だった。何気ない振る舞いそのものが格の違いを感じさせている。
「久しいな。ニューヨークの町並みはさぞかし君を忙しくしているんだろ?」
親しみはあるが決して対等ではない程の軽い握手を交わした。
「ええ、おかげさまで。ただ、本日は伯爵にふさわしい価値あるお品をお持ちしております」ジョセフはそう言いながら、革のケースに手を添えた。
伯爵も”わかっておる”と言わんばかりの視線を革のケースに送った。と、同時に少年がいることに気づき声をかけた。
「うむ。…こちらは?」
「息子のジョンでございます。今回、どうしても同行させたく連れてまいりました」
ジョンは一歩前に出て伯爵へ挨拶した。
「はじめまして、ジョン・ゴルディールと申します。お招きいただき、ありがとうございます」
伯爵はジョンを値踏みするように静かに見ていた。
「ほう…ずいぶんと落ち着いてるね」伯爵の口元がわずかに緩む。
「ジョンと言ったかな。何か興味はあるかね、この世界に」
ジョンは一瞬だけ考え、返事をした。
「光でございます」その場の空気が変わったのを後ろから見ていた執事さえも感じ取った。
「光の中には7つの色があるということをニュートン先生に教えていただきました。僕は世の中すべての光を手に入れたいと考えています。それはつまり、…」
「もっ、申し訳ございません…」ジョセフが慌ててジョンの話を遮った。「ジョンは光の話をしだすと止まらないもんですから…」
「ニュートン先生というのはアイザック・ニュートンのことかね」伯爵が聞いた。
「ええ、そうなんです。…妻が与えたニュートンの本をえらく気に入ってましてね。何十回、何百回と読むほど彼に夢中でして、…今ではニュートン先生と言うほど慕っております」ジョセフのこのやりとりは過去にも何度もあった。
「ニュートンか…」伯爵は顎に手をあて、ジョンを眺めていた。
「旦那様、お部屋のご用意が整っております…」執事が伯爵に促した。
「うむ。遠いところから来ていただいているのにこんな場所で立ち話とは失礼した。さあ、どうぞ…」
執事に案内されふたりは部屋へと入っていった。その様子を伯爵はジョセフではなくジョンを興味深く見ていた。
…………
「ハハハ!ゴルディール、素晴らしい取引ができて実に愉快だ。ジョンの知識もここまでくると、もう、立派な宝石商だ。……どうだい、今日の晩餐にはふたり揃って出席してもらおうじゃないか?いいだろ、ブラウン」伯爵は執事のブラウンに聞いた。
「旦那様がおっしゃるのであれば…」少しの戸惑いが眉毛に現れるが執事は受け入れた。
…………
晩餐には伯爵をはじめ、伯爵夫人にふたりの娘、近くに住む親族が同じテーブルに座っており、皆の視線は当然のようにジョンに集まっていた。
「お父様、早くご紹介してくださらない?みんな、気になってるわ」姉が待ちきれず声をかけた。
「そうだね。こちらはアメリカ、ニューヨークから来ていただいた宝石商のゴルディール氏と息子のジョン君だ。今回、ペンブルック家にも負けない宝石をと彼にお願いしていたんだが想像以上の素晴らしい宝石を用意してくれたんだ。…もちろん、それなりに値段はするがね。そして、ジョン君はまだ10歳ではあるが宝石の話をさせたら、父親以上なんだよ…」
「クスッ……」ふたりの娘が顔を見合わせて笑った。
「私は彼が将来有望であることに間違いないと思っていてね。それで皆に知ってもらいたくて、一緒のテーブルに座ってもらってるんだ」
…………
「アハハ、おもしろいわ。ルビーとサファイアは色が違うだけで兄弟のように同じ石だったなんて知らなかったわ」姉と妹はジョンの話に夢中になっていた。
「ねえジョン。将来はお父様と同じ宝石商になるのかしら?」姉が聞いた。
「僕はやりたいことが決まっています」ジョンはピシャリと応えた。「宝石は今よりもっと多くの人が手にする身近なものになると思っています。だから僕は、世界中にお店を持つことに大きなチャンスがあると考えているんです」
「素晴らしい!」パンッ…パンッ…伯爵の乾いた手のひらを重ねた音が響いた。その音に呼応するように伯爵夫人、親族そして娘たちも一緒になって、静かに拍手を送った。
「お父様、あの話を聞かせてあげたほうがいいんじゃない」妹は口につけたグラスをテーブルに置きながら伯爵に言った。「ジョンはまだ若いのに、すでに大きな夢を持っているわ。…ほら、願いを叶える木の話」
「フルージュのことかい?」口元をナフキンで拭きながら返事をする伯爵。「実はね、ゴルディール。私が管理している森に、何でも願いが叶うと言い伝えのある不思議な木が存在してね…」
「その木は今から半世紀ほど前に見つかったんだが第一発見者は、ほら、今日の食卓にもある…」伯爵は目の前の皿を一枚手に取り、皆に見せた。「このお皿を作った人物、ジュリエット・ストーリー。彼女が最初に見つけたんだ。彼女とは長く親交があったんだが7年前に亡くなってしまってね…」
「まあ、彼女が言うには”不思議な木のフルージュの果実を食べるとどんな願いも叶う”。おおげさに言うとそうらしい。ただね、実際は…管理者であるわれわれが何度、足を運んでもあの木で果実を見たことは一度もない。…一度たりともだ」
「待ってお父様!…お父様はあの木の話は信じていない様子だけど…最近、村の人たちから聞いた話があるの…」妹が言った。「靴屋のウィリアムはプラムを見つけて、願ったら、母の病気が不思議と治ったって言ってるわ。…病院の先生にはお母様の病気は難病で治せないだろうって言われていたのによ…」
「それから、郵便局長のカーターが行った時にはオレンジが実っていたんだって。彼には多額の借金があったらしいんだけど…この直後にまとまったお金を相続する話が来て、すべて返済することができたんだと自慢気にいいふらしているわ」
「まあ、そう言った信憑性に欠ける話はよくあるもんだ」伯爵はまったく信じていない様子だ。「だから、私は彼女に会うたびに聞いていたよ。『果実を食べたら願いが叶ったという話は本当でしょうか?そもそも、あの木に果実は実るのでしょうか?』ってね。でも彼女の答えはいつも同じ『本当なの』そう、言ってたよ」
「でも、彼女が亡くなる少し前だったかな、…歳も80を過ぎて老いたせいでもあると思うがこんなことも言っていたんだ。『私はあの木と出会ってすべてを手に入れることができたわ。でも、今、思うのは私はずっと夢の中で生きているのかもしれない…そう、思うの』寂しそうな目で言っていたのを今でも忘れられないね」
「お父様。私たちによく言っている言葉があるわ」妹が伯爵に向かって言った。「『自分の直感を信じなさい』って。ジョンなら私たちが見つけられていないものが見つけられるんじゃないかって…そんな気がするの」
「だそうだよ」伯爵がゴルディールを見ながら観念したように言った。「ゴルディール。もし、明日にでも時間があるようなら、娘の直感を信じて、その木を見に案内するがどうかね?」
「ありがとうございます。ジョンのためにそこまで言っていただき、…ただ、明日はロンドンでお約束がございまして、明朝早く、ここを出発しなくてはなりません…」ジョセフは申し訳なさそうに答えた。
「そうかね。ではまたの機会としようじゃないか。…明日が早いとならば。ブラウン!」伯爵は執事を呼んだ。「お客様を今日、泊まる部屋へと案内してくれ」さらに伯爵はゴルディールに向かってこう言った「ゴルディール、それからジョン君。今日は本当にありがとう。ゆっくりと休んでくれたまえ」
ふたりは礼を言うと、部屋を出て行った。
…………
次の日、まだ夜が明ける前の朝。慌ただしく走ってきた執事のブラウンが伯爵の部屋をノックした。「どうしたんだね、ブラウン。…ずいぶんと早いじゃないか?」「申し訳ございません、旦那様。昨夜から、ミスターゴルディールの息子さんが戻っていないご様子で…」
「戻っていない?いったい、どこからだね?」伯爵の目はまだ開いていない。「メイドが言うにはジョン君は昨夜、星を眺めたいのでランタンを貸してほしいと申し出があったようです」
「また、ミスターゴルディールも同様に息子が星を眺めてくると言って部屋を出ていったところまでは憶えており、先ほど目を覚ましたらまだ、戻っていないことに気づいて私のところへ探すのを手伝ってほしいいと…」
「わかった。すぐに準備をする…」伯爵はようやく状況を把握し、急いで着替えをはじめた。
…………
フゥーッ、フゥーッ、フゥーッ。
その頃、ジョンは真っ暗な森の中にある、お目当ての木の下で消えたランタンを手に持ち、深い息をしながら夜が明けるのを待っていた。-そう、ジョンは不思議な木のフルージュに歩いてきていたのだ-
本来、ジョンの思惑ではランタンの灯りで果実を見つけだし、すぐに帰る予定だった。しかし、ランタンを借し出したメイドは星を見る程度ならと燃料が残り少ないランタンをジョンへ渡していたのだ。ジョンは太陽が昇りだしてから30分で探して、急いで戻れば問題ないと判断した。
…………
「待たせた、ゴルディール」伯爵は身なりを整え、1階へと降りてきた。「ああ伯爵、息子がお騒がせしており申し訳ございません。…屋敷の周りを探してみたのですがどこにも見当たりません」ジョセフの服は汚れ、髪は乱れていた。
「他に何か心当たりはないかね」伯爵はゴルディールに聞いた。「まさかとは思うのですが…昨晩、話をしたフルージュ?でしたかね。…その不思議な木の名前は」「ばかな!10歳の少年が真夜中、森に一人で歩いて行ったと言うのかね?いやいや、そもそもその木の場所さえ知らないではないか」
「ええ、たしかにそうですね。ですが…今思えば今回の旅、行くと決まってから、やたらと地図を眺めていたことを思い出しました。まあ、その時はニュートンが好きだから詳しく見ているのだろうと思っていましたが…」ジョセフはいろんな可能性を考えていた。
「ブラウン!10歳の子供が真夜中にあの木へ歩いて行ったとすれば、どれくらいの時間がかかるかね?」伯爵は執事に聞いた。「おそらく、1時間から1時間半…ではないでしょうか」「うむ。仮にあの木へ行ったとしても、今の時間には十分に戻ってこれるはず。…だが、何かあって戻れていないと考えるなら…ブラウン!すぐに馬車の用意を!」
…………
伯爵やゴルディールが馬車の準備をして、森へと向かい始めた頃、ようやく朝日が顔を出しはじめ、シャーウッドの森にも少しずつ明るさが差し込んでいた。
ジョンは夜が明け始めているのも気づかず木にもたれて、すっかりと眠り込んでいた。…瞼の上が光でチラチラするのを感じて、ビクンッと体を震わせた。「いけない!…寝てしまった」ジョンは飛び上がった。それから、すぐに屋敷の方へと走り出した。”みんな、僕がいないことに気づいているだろうか?早くもどらないと…いや、待て。” ふいに振り向いて、フルージュを見た。
それは遠目からでもすぐに気づいた。木の上のほうに黄色く見えるものがあったが何かわからない。ジョンはフルージュへ急いで戻り、登れないかと足場を確認した。そして、袖をまくって、はじめの枝へと飛びついた。ずいぶん、高いところにそれはあった。ジョンは持てる力をふり絞って、枝から枝へと登っていった。そして、ついに手に入れたかったそれにたどり着いた。
ジョンは手を必死に伸ばして、なんとかそれをもぎ取った。だが、その時!…どこからともなくやってきた大きな鳥が横取りしようとバタバタしながら攻撃してきた。「くそっ、あっち行け!」振り払おうとするが何度もしつこく襲ってくる。ジョンは取られてなるものかと口でそれの皮を剥いて、急いで口の中に押し込んだ。だが、その鳥も同時に会心の一撃を幹を抱いている手に食らわせた。「グアッ!…」
痛みで幹から手を放したジョンは枝から枝に体をぶつけながら、最後はドスンと大きな音を立てて地面へ落下してしまった。「いっ…痛い…こんな、ところで…じつにくだ…らない…ゴクリ」ジョンは気を失ってしまった。大きな鳥もそばに降りてきた。そして、ジョンの横へゴロンと落ちている、それを両足で掴んで持ち去っていった。
…………
「ジョーン!…ジョーン!」父親のジョセフをはじめ、伯爵、コーチマン、フットマン、執事で広範囲で声を上げながら、森の中を進んでいた。そして、先陣を歩いていたフットマンがフルージュの木の下で倒れている人影を見つけ声を上げた。「ああっ、旦那様!…あっ、あそこに」みんなが一斉に走り出した。
「ジョン!…しっかりしろ!聞こえるか!…父さんだぞ。ジョン!ジョン!」駆け寄ったジョセフはジョンの手から流れる血を見て、動揺していた。「待て、ゴルディール、生きているぞ」伯爵はジョンの口元が動くのを見て言った。しかし、ジョセフは揺らすのをやめない。「あんまり、揺さぶるな。やめないか!ゴルディール。…ゴルディール!…」
…………
…………
ゴルディールは目を開き、ニューヨークにある大豪邸、その寝室の天井を見ていた。「ゴルディール様。…お目覚めでょうか?」付添人のハンスが声をかけた。「……ハンスか?」ゴルディールは長い夢から目を覚ました。「お約束の時間に降りてこられませんでしたので…それから、ヘンズロー教授はすでにお見えになっております」
ゴルディールは大きな体を起こして、ゆっくりと着替え始めた。「どれくらい、待たせておる?」「1時間でございます」ハンスは上着の袖を通すのを手伝いながら返事をした。「うっ…そうか、今、思い出したぞ。…あの時、わしは食べておったのじゃな。ああ、たしかに食べておった!これは愉快じゃ。ガハハハッ!」
-ゴルディールは45年前、不思議な木のフルージュで見つけたそれはあの鳥に奪われてしまったと今までずっと思い込んでいた-
「おう、待たせたな、フレデリック!」扉が勢いよく開いた。「さあ、聞かせてくれ。不思議な木のフルージュの果実の実らせ方を!!」
© 2022–2026 Tadahiko Sakai. All Rights Reserved.Story and characters: Fruje
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